[職場闘争]“狡兎死して走狗烹らる”は侮辱的な表現か?【後編】〜古典に学ぶ自律的な生き方〜

【前編】で、“狡兎死して走狗烹らる”の語源について、呉越の戦での功労者である優秀な臣下の范蠡や大夫種の成功と悲劇の光と陰と、「国士無双」とまで評された韓信の漢の平定後に起こった、妬みや己の権益の為に平気で仲間を裏切る臣下共の讒言による不当な処遇、韓信自身の責めに帰する処もあるとはいえ、結果的に一族が殺される非業な運命を強いられた逸話を、原典に当って解説した。
此れの一体何処が“侮辱”に当たるんだか判らんが、此の故事成句を知っているのなら、寧ろ、春秋戦国時代の有能な武将に譬えられていることになるので、「いや〜、ちょっと褒められ過ぎですよ」と謙遜くらいしてもいいんじゃないか。(笑)

「烹られる」側について言えば、韓非的な言い方で言うならば、君主と臣下とでは其々の利害が異なるので、君主や組織に忠誠を誓い、功績を上げたとしても、「烹られる」側は必ずしも報われるとは限らないということだ。
どういうつもりか判らないが、労働者の団結や正当な組合活動に敵対的な行動を取ることが、組合嫌悪・組合敵視著しい協会管理職に現状追従した方が得だと判断したのなら、結局は労働者の権利や労使対等な関係構築を損なわせることになり、何れ己の労働条件・職場環境に其れが跳ね返ることになる。「汝の部署を放棄せよ!汝の価値に目醒むべし!」*と越の范蠡が思ったかどうかは解らないが、范蠡の様な自律的な生き方を学ぶべきである。

* メーデー歌「聞け万国の労働者」(作詞:大場勇)から…と言っても、知らんだろうが(そう多くの人が知っている歌ではないだろうから、別に貶している訳ではない)。

「烹る」側について言えば、【前編】で紹介した『韓非子』「内儲説 下編 六微 第三十一」には、「大夫種受書読之 太息而歎曰 殺之 越与呉同命(大夫種、書を受けて之を読み、大息して歎じて曰く、之を殺さば、越も呉と命を同じくせんと)」と続き、其の様な行為は組織を衰退・破滅に導く行為であるとして戒めている。
協会事務局で起こった不透明な人事や労使で碌に話し合いも行われずに、不自然に職員が辞めて行った経緯は、本組合掲示板ブログで一定、批判的に言及して来た通りなので、此処でクドクドとは言わない。我々は、協会の自浄作用には期待出来無いので、其の様な組織体質を改善し、良好な労使関係と労働条件、職場環境を目指し、民主的で風通しの良い職場に変革し、労働者の権利確立の為に組合活動を行なっているのである。その辺の経緯は「[職場闘争]組合加入から公然化・団交要求までの道程 」に記しているので、読んで頂ければ解るだろう。

組織の私物化と己の権益のしか考えない“家臣(君側の奸)”と其奴らの讒言を鵜呑みにする“君主”は、『史記』に山程出て来るが、古代中国の愚かな帝王に通じる話は現代でも変わりはないし、使用者側が組合嫌悪・組合敵視から労働者の団結破壊・分断の策を弄するのは、現実問題として有りがちな話ではある。勿論、現代の不当労働行為の実例・判例は幾らでも例示できるが、労働法や労働判例に疎い協会管理職・職員にも理解できる様に、良く知られた故事成句、即ち、古典からの教訓を例示して、反組合的な敵対行為への批判としたものであり、況してや個人や協会を誹謗や中傷するものではない。

そもそも、普通の国語力があり、教養ある“大人”だったら、諷喩や故事成語・故事成句の一語一句の寓意を直で受け取る者は居るまい。此の様に過剰反応して言いがかりを付けて来るのは、図星、つまり、思い当たる節があるからじゃないのか?

じゃあ、例えば「特別委員会まで設置したプロジェクトが惨憺たる状況。しかし経営陣・管理職等は“塞翁が馬”と嘯き、責任逃れか?」**と書いたり言ったりしたら、「ジジイ呼ばわりしやがって!しかも、馬に喩えるなんて、誹謗中傷だ!」となるのかね?

** 協会管理職は別にして、本ブログ読者諸賢には御存知のことと思うが、由来は【前編】でも紹介した『淮南子』の「人間訓」にあり、何が禍福と成るか判らない(だから一喜一憂してもしょうがない)ことについて述べた説話だ。

此の手のintelligenceもwittinessも持ち合わせない輩とのやり合いは本当に消耗するし、此れが結構、日々のキツいストレスだったりする。嘗て、是等の記事“上司は、偉いんだぞ!”と言うなら、それ相応の教養と人格を身に付けた方がいいんじゃないの、という話を書いたが、記事はちゃんとチェックしているくせに、どうやら君等には“馬耳東風”の様だな***

*** こんなことを書くと「馬の耳とは何だ!侮辱だ!誹謗中傷だ!訴えてやる!」ってことになるのか? どうせ知らんだろうから教えてやるが、他人の話や意見に耳を傾けないことを、馬の耳には春風が吹いても何も感じない様子に喩えた、

吟詩作賦北窓裏(詩を吟じ賦を作る北窓の裏)
萬言不直一杯水(萬言直せず一杯の水)
世人聞此皆掉頭(世人此れを聞いて皆頭を掉る)
有如東風射馬耳(東風の馬耳を射るが如き有り)

が由来だ。因みに、出典である李白の「答王十二寒夜獨酌有懐」には、前出の韓信や范蠡の逸話も少しばかり触れられていて、反骨の詩人・李白の人生観が窺い知れる。–久保天隋(訳註)『続国訳漢文大成 李白全詩集 第三巻』日本図書センター 1978

…と言う訳で、“狡兎死して走狗烹らる”が侮辱的な表現なのか否かについて説明させてもらった。

当該としても情宣ビラでも本ブログでも、余り品の無い直截的な表現や個人情報、協会の機密情報には触れ無い様、結構気を遣って書いているつもりだ。飽く迄、協会(事務局)批判をするにせよ、集団的労使関係に関わる事柄や職場での労働者の諸権利に関する事柄、労働条件についての改善要望、障害福祉施策へ取り組みという本来の協会の目的に関する事項以外は記事ネタにはしていない。
此れ迄、管理職ではない職員については仮令、反組合的な行為・言動があったとしても、現実的な労使関係に影響を及ぼさない場合、どういう価値観を持とうと個人の自由なので、どうぞご勝手に…と、批判的に言及することは控えていたが、度重なる目に余る敵対的行為・言動であった為、上述の通り、自覚と自制を促す為にも個人を特定出来ない様、名前を伏せる等の配慮は行いつつも、具体的な事例として明らかにさせてもらった。
当該記事に於いても、協会及び協会事務局職員への厳しくも愛のある忠告として記したものだし、寧ろ、此れ以上協会事務局が「協会の社会的信用を貶め」ることの無い様にと願ってのことである。

さて、此の件以外も含めて、協会と協会顧問弁護士からの諸々の申し入れは、意図してかせずか、曲解による正当な労働組合の言論活動への不当な介入であり、協会の対応は言語道断であると判断した為、2019年8月27日付で、2019816日付「申入書」に対する反論及び質問書」を送った(脱字があったので修正し、一部伏字)。

協会からどんな回答が来るのか判らんが、もし、成る程ご意見ご尤もと唸るような回答が来たならば、当該記事の訂正に応じることも吝かではなし、柔軟に対応するつもりだ(過去にも団交で掲載記事に抗議され、協会側の抗議にも一理有ると判断し、一部削除に応じたこともある)が、其の回答が我が組合を納得せしめるものでなければ、そのままとする。つまり、現状では記事削除には応じられないということだ。

…The end

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