日本障害者協議会(JD)「“碍”の常用漢字化についての要望」に思うこと

編集者稼業をしていて、ここ十数年来多く見られる「障害」の「害」の字を平仮名にして「障がい」とする交ぜ書き表記。個人的にはどうしても違和感が拭えません。
「害」という漢字にはnegativeなイメージがあるため、「がい」と平仮名書きにしたいという気持ちはわからなくはないので、月刊誌『さぽーと』では、原則として「障害」表記を使用しますが、敢えて表記を統一せず、基本的にその執筆者の意向にまかせています(その記事・論文の中で字句の統一が取れていればOK)。
しかし、本来「障害」の「害」は本字の「礙」または俗字の「碍」であり、「障礙(障碍)」は「しょうげ」(呉音)と読む仏教用語*が元の様です。

* 仏陀は我が子に「羅睺羅(ラーフラ)」=“障碍”と名付けたとか。

また、白居易の漢詩「春日題乾元寺上方最高峰亭」

危亭絕頂四無鄰  危亭の絶頂では四方に相接するものがなく
見尽三千世界春  三千世界の春を見晴るかす
但覚虚空無障礙  ただ上空に遮るもののないことを知り
不知高下幾由旬  その高さは計り知れない
廻看官路三条線  首を廻らせて都大路を眺めれば三本の線に過ぎず
却望都城一片塵  振り返って城市を望めば一片の塵に過ぎない
賓客暫遊無半日  客はここでしばらく遊んでも半日と滞在せず
王侯不到便終身  王侯は一生やって来ることもない
始知天造空閑境  初めて知った天の造ったこの閑静な境地は
不為忙人富貴人  多忙の人や富貴の人のために造られたのでないことを

この中に「障礙」の言葉が見られます。本来の意味での使われ方ですね。

戦前は「障碍(障礙)」と「障害」のどちらも使用されていたようですが、より多く用いられていた「障害」が一般的になり、戦後の漢字制限の文教政策による当用漢字表には「礙」や「碍」が含まれなかったという歴史的経緯があります**

** 障がい者制度改革推進会議・「障害」の表記に関する作業チーム『「障害」の表記に関する検討結果について』2010年11月22日

私の手持ちの漢和辞典『大字典』(講談社 1917年初版発行)には、

【障】形声。隔て界すること。故に阜扁、章が音符。

【害】形声。宀と口と丯の合字。人をそこない傷つくること。宀と口を合わせて其の義を示す。内証に讒してそこなう義なり。丯は音符。
【礙】形声。妨げ止むること。石扁とするは石を以て妨害する義か。疑は音符。

とあります。
用例として「障碍」は「障礙」に同じ、「障礙」は「障害」に同じ、とあり、初版発行当時から「障害」の方が一般的に使われていた様に思われます。

「害」のイメージが悪いからという理由で、単に「害」を「がい」という平仮名表記に変えた交ぜ書きにしてしまっては、漢語表現の熟語としての本来の意味もわかりにくくなります。また、「障害」は社会の側にあるという社会モデルの考え方からすれば、「障害」であっても何ら問題のない表記であると言えますし、現代の漢字仮名交じり文に相応しい、正しい日本語表記です。

とは言え、確かに「害」にはimpairmentの意味が見受けられるので、音が同じで当て字としても不適切な感じは否めません。
「害」よりも本来の「礙」「碍」が正しいが、常用漢字ではない為に使えないので、已む無く「障がい」と交ぜ書きにするのであればわからなくはないのですが、ならば「礙」「碍」の字を常用漢字化すればいいでしょう。…というか、これまでも何度かそういう動きはあったのですが、「碍」は「障碍」以外に使い様がないということから見送られて来た様です。

2018年9月26日に特定非営利活動法人日本障害者協議会(JDは、「碍」の常用漢字化についての要望を文部科学省へ提出しました。
漢字一字一字には意味があります。日本語表記・表現の多様性と選択肢を拡げる要望です。常用漢字に追加されることで、関係者のみならず、多くの一般の人たちや言論に関わる人たちの間に議論が沸き起こり、言葉から障害理解が深まることを期待したいものです。

「障害」「障礙(障碍)」「障がい」「しょうがい」どれが良いかというと、私は保守的な人間なので(笑)、元々の意味を持つ「障礙(障碍)」の方が個人的には良い様に思います***。寧ろ問題にしたいのは、障碍者の対義語としての「健常者」と言う言葉です。この言葉には違和感以上の嫌悪感を覚えます。
ともあれ、当事者がどのように表記されることが不快感を抱かないかが一番でしょう。

*** 本掲示板ブログでは、固有名詞との書き分けが煩わしいので、「障害」で表記を統一しています。

公益財団法人日本知的障害者福祉協会では、『さぽーと』誌での執筆者の意向を尊重しての記事内での個別な表記は別にしても、団体として発行している出版物の書名事業名が「障害」だったり「障がい」だったりとバラバラなのは如何なものでしょう。団体の名称には「障害」とあるのに? ここは一つ、JDの要望を見習ってみては如何?

孔子は弟子の子路にこう語っています。

必也正名乎  必ずや名を正さんか 

…The end

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