[日々雑感]「組織の統制(?)・ハラスメント職員研修」について

随分時間が経ってしまったが、以前本掲示板ブログのこちらの記事で取り上げた、財務省前事務次官の記者へのセクハラ発言を受けて、2018年5月9日、幹部約80人を対象に、弁護士(菅谷貴子氏)を講師に迎えて、財務省でセクハラ防止研修が行われた。冒頭、講師から「財務省の感覚と世の中の常識が非常にずれている。対策をしっかりやっているというアピールのためにこの研修会が開かれているとしたら、それは全く意味がない」とヒジョーに辛辣な言葉から始まったようだ*。尚、「セクハラ罪はない」という暴言を吐いた麻生太郎財務大臣はこの研修会には参加していない。

* こちらの新聞報道(朝日新聞「財務省でセクハラ研修 講師「世の中の常識とズレてる」2018年5月9日)も参照。

さて、以前本掲示板ブログでは、協会の末吉事務局長の“暴言暴行パワハラ事件”についての回答書や不当労働行為救済申立書に対する答弁書にあった、当該組合員が「病院や警察に行かなかったから暴行は無かった」等という戯言を揶揄・批判させてもらったが、いくら組織防衛や保身の為とは言え、「世の中の常識とズレている」ことを言っているのは協会も同様であり、以前行われた全協会事務局員を対象にしたハラスメント研修は全く活かされていないんじゃないか?と思わざるを得ない。…という訳で、その、以前行われた協会事務局のハラスメント研修について紹介してみたい。

2017年3月24日(金)15:00〜16:00、協会会議室において第1回(? 20数年勤務していて初めてだと思う)職員研修会が開催された。常任理事・正・契約・臨時職員の事務局全員が対象で、講師は協会顧問弁護士(当時)のH氏。2017年2月、3月の職員会議「事務局調整会議」において太田常任理事が「組織の統制(?)・ハラスメント職員研修」を行うと予告していた研修である。これまでの団体交渉で、2013年4月1日に起きた、末吉事務局長の当該組合員に対する“暴行暴言パワハラ事件”(本人は感情的になっていてよく覚えていないらしいが)についての謝罪とパワハラ防止策を要求していたが、その事実を巡って主張が異なるために、お互いに団交で協議しようとしたところ、第3回団交から末吉事務局長は逃亡、その後の団交でも逃亡を居直り続け、この問題は進展を見せてはいない。このような事情や組合からの要求を受けて、ハラスメント防止対策を行っているという既成事実を作っておかなければ…という職員研修であろうと勘ぐってしまうが、ともあれ、これまでの組合からの要求がこのような形で実ったことは喜ばしいこと。しかし、「組織の統制(?)」も一緒にくっ付いているは少々引っかかるところではあった。

一年以上前のことなので細かい話は記憶から薄れているため、ごく大雑把に言うと、研修会講師のお話はこの度(研修会当時)の刑法改正案で示された刑法177「強姦罪」(「強制性交等罪」に名称変更)の加害者・被害者の性差を解消し、非親告罪化・厳罰化されることを始めとして、自由の考え方、何がハラスメント=嫌がらせになるのか、openな社会とcloseな社会の中で考えること、いろいろなハラスメント、ルールとモラルについて考えるという内容であった。
1時間という枠の中で話す第1回の「組織の統制(?)・ハラスメント」職員研修会なので、細かい部分には踏み込んだ話にはならないだろうとは想像していたが、実際のところ、個別具体的で、実践的な、かつ職場のハラスメントの事例を含めた話にまでは及ばなかったのは残念である。と言うか、間違った解釈がなされるのではないかという懸念も感じた。

例えば、雇用・被雇用の関係で言えば、労働者の生殺与奪の権利を握っているのは使用者であることから、必然的にパワーハラスメント相談内容の加害者と被害者の関係では「上司から部下へ」の比率(77.3%)が最も高くなることは、厚生労働省の「平成28年度調査結果 職場のパワーハラスメントに関する実態調査報告書」を見ても明らかであるし、立場の弱い労働者は使用者以上に多くの法的保護により権利を付与されているのが現実だ。パワハラだろうとセクハラだろうとマタ(パタ)ハラだろうと、職場の力関係を無視した議論は在り得ない。

研修会の中で例として挙げられた、無人島に人間一人しかいない状況における自由はそれ自体に意味があるのかという問いは確かに権利や義務の深い問題を抉り出すものであり**、自由は自由が奪われ、制約される環境の中で意味を持つことはその通りで、譬え権利が人々に付与されていたとしても、それを行使しなければ意味を為さない。そういう意味で言えば、掘り下げるに値する面白い話ではある。

** 哲学者シモーヌ・ヴェイユの言った「宇宙にたったひとりしかいないと仮定するなら、その人間はいかなる権利も有せず、ただ義務のみを有することとなろう」という言葉を思い出したが、そこまで深い話には展開されなかった。——S. Weil(著)・山崎庸一郎(訳)『根をもつこと』春秋社 2009 “L’Enracinement” 1949

しかし、実社会の自由を考えるならば、日本国憲法に定める基本的人権国際人権規約のB規約(自由権)に触れないわけにはいかないだろうし、憲法や国際条約が私人間に効力を及ぼし得るのかは意見の分かれるところだが、譬えcloseな場である職場で、使用者側に業務命令権・人事権・解雇権があったとしても労働者の市民的自由、思想・良心の自由、人格権が蔑ろにされていいということにはならない。また法的にも労使双方に権利の濫用は許されないとされている(民法13労契法35)。その上で両者の権利を比較衡量し、職場の人権の在り方を考えていかなければならない。勿論、法律だけが人間的営みを拘束するものでもないし、人としての尊厳を慮るのは当然の配慮であり、社会構成員としての義務である。

研修の中では「他人が嫌がることをすることは全てハラスメントです」と講師は言っていたが、日本知的障害者福祉協会事務局では、嫌いな人間には挨拶せずに無視をする、管理職は報告を求めるが、管理職は嫌いな人間には情報を遮断し、何も業務連絡網から意図的に外す、“懲戒免職相当”などと言いがかりをつけて、ルール(due process of law)無視の退職勧奨を行ったり、職員間の分断を図り、コミュニケーション破壊が蔓延しているのが現実。人間慣れというのは恐ろしいもので、すでに感覚が麻痺してしまったが、誰が誰に対してそうしているのか?
前述した様に、パワー(権力)ハラスメントの加害者のほとんどは権力者である上司である。然るに「上司の命令に復命しないのもハラスメントです」などと言う前に(これはどう考えても私に対する当てつけ)、ちゃんと職員に匿名で協会事務局の実態調査してから職員研修を行わなければ、誰かに都合の良いだけの研修になりはしないか? と言うか、団交でパワハラの事実を問われているのにそれが事務局長の逃亡という“無責任な責任者”の所為で一向に解決を見せていない。
本記事冒頭で紹介した財務省のセクハラ防止研修での講師の発言「対策をしっかりやっているというアピールのためにこの研修会が開かれているとしたら、それは全く意味がない」と同様、お茶を濁すようなことをしてはならない。

当該組合員に対する末吉事務局長の暴行暴言、水内事業課課長代理の不当労働行為言動・組合員への嫌がらせ行為など、“明らかな”ハラスメントが労働問題として我が組合側から団交議題とされ、それについて協議を求められている。そして、協会の不誠実な対応により、現在、労働委員会に不当労働行為として申し立てられているのだ。まずそれを真摯に受け止め、解決する姿勢を見せなければ、ハラスメント職員研修も画餅に帰し、ただの管理職側に都合のいい「組織の統制(?)」職員研修になろう。そして、この研修から1年くらい過ぎて協会から来た“暴行暴言パワハラ事件”の調査回答と答弁書にあったのが「病院や警察に行かなかったから暴行は無かった」という珍論奇説である。

…とまぁ、批判的な事柄を中心に書いているが、短時間で大枠の話だけだったので已むを得ない事情もあるだろう。しかし、第2回があるならば、もっと個別具体的な事例に踏み込んだ研修を期待したいところ。協会が本気でハラスメントの無い職場を実現しようという積極的な意欲があるならば、我が組合としても、より実のある職員研修と人権意識を涵養するために、最大限の努力を払うことには吝かではないので、是非とも今後は組合との協議の上で行われるべきだ。

研修終了後、数名の職員に感想を聞いた際、共通して言っていたことは「譬え話がちょっと…」ということであった。初っ端から「強姦」の話だったし、セクシャル・ハラスメントについての話もあるからしょうがないかもしれないが、少々譬え話が猥雑で…卑近な言い方をお許しいただければ、居酒屋でのオヤジたちの猥談のようだったのはいただけない。ウケ狙いもあったのかもしれないが(実際、愛想笑いも入ってニヤニヤ笑っている連中もいた、その場にいた事務局職員なら記憶していると思うが)、講師の協会顧問弁護士(当時)のH氏***は、団交でも気品があり紳士的な対応をする方なので(クライエントである協会の無茶な擁護は別にして)、もっと“お上品”な話を例として取り上げて欲しかったんだが…。(苦笑)

ハラスメントは特定の人物の職場からの排除と密接に結び付いているので、続きは番外編として日本社会特有の社会的排除の歴史上の実例を取り挙げてみたい(と思っている)。

*** 因みに、講師を務めた前協会顧問弁護士のH氏は2017年の晩秋に亡くなっている。氏は元職員のY氏を退職に追いやる片棒を担いでいたので、いい印象は持てなかったが、団交に出て来る(た)協会との「暖簾に腕押し」「糠に釘」の噛み合わない議論に比べれば、敵と雖も、まだ理知的でまともな議論ができ、正直、氏との団体交渉でのやり取りは楽しかった。氏と交渉をしていた方が上手く交渉が運ぶのではないかとまで思ったが、そういう訳にも行かず、たとえ無知で蒙昧だろうと、朴念仁で唐変木だろうと、使用者で決定権現を持っていれば粘り強く相手にしなければならないのが団体交渉である。

To be continued…

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